得意気に「俺フットワーク軽いからさ!」と語る人間がいる。
果たしてそれは、堂々と語れる強みなのか。
対照的にフットワークが重いことは、本当に悪いことなのか。
僕だって出不精な自分に嫌気がさすこともある。
けどそれとフットワークの重軽については、混同してはいけない思うんだ。
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フットワークの持つ意味とは
僕の周りでは「フットワークが軽い」は褒め言葉である。世間一般でもその風潮があるように思う。
友人や同僚からの誘い、特に急な誘いを断った時。
「フットワーク重いな〜」
「もっとフッ軽で行こうよ〜!」
なんてことを、よく言われる。
フッカルてなんだよ。フッ化カルシウムの略かと思ったわ。
確かに、自分はいわゆるフットワークは重いかもしれない。でもそう言われると、何かモヤっとしてしまう。
それは「フットワークが軽い」という言葉の意味と、使われているニュアンスとに微妙なズレがあるように思うからだ。もっと細分化できるはずだ。
具体的なケースを例に考えよう。
「今飲んでるんだけど、来ない?」
こんな誘いを受けた経験は、あなたもあるだろう。
金曜日、家に帰ってゆっくりしていると、おおよそ21時くらいにこんな誘いがくる。
類似ケースとして、「仕事終わりに、今日飲まない?」や「今週の土曜ヒマ?」などでもよい。
フットワーク重い人の特徴
誘いを受けた時には必ず、脳内会議がはじまる。
BLEACHみたいな会議がしたいけど、内容はクロマティ高校の四天王レベルだ。
考慮する要素は、大体以下の通りであろう。
・人(誰がいるか、どうなるか)
・コト(何をするか、自分にとって有意義か)
・時間(いつ、どこで、どれくらい)
・お金(いくら、割安か割高か)
・体力と気力(HPとMPは足りるか)
人によって、これらのファクターの重要度や優先度は変わってくる。
このケースだと、コトと時間は決まっている。あとお金も大体想像がつく。
したがって人と体力・気力が重要になってくるだろう。
会社の同僚なのか、中学の旧友なのかで、だいぶ違う。
などと、ウダウダ考えてしまう。頭でっかちなのだ。
そして、結局行かないことが多い。よっぽど魅力的でないと、脳内会議でGOサインは降りない。
フットワーク軽い人の特徴
おそらく脳内会議などしない。
「今飲んでるんだけど、来ない?」
このケースの場合、即答で「行く!」と答える。脊髄で返事をしている。
たとえ既にお風呂に入っていてもお構いなしだ。
フットワークの軽い人は、暇を嫌う傾向にある。
したがって遊びの誘いにはほとんど絶対に乘る。終電でも行くだろう。
程度の違いはあれ、フットワークが軽い人は、行く。
それは素晴らしいことだと思うが、違う言葉で言い表せないだろうか?
体力があるじゃダメなのか?
わざわざフットワークと表現する必要はないと思うんだ。
フットワーク軽い、重いを言い換える
私が一番モヤっとするのは「フットワークが軽い」に「行動力がある」という意味合いを持たせていることだ。
その構図ゆえに「フットワークが重い」=「行動力がない」という使い方がされ、つまらない人生を送っているようなレッテルを貼られる。
「フットワークが重い」ではなくシンプルに「人付き合いが悪い」や「体力・気力が低い」で事足りることが多い。
フットワークと行動力の違い
フットワーク・・・受け身
行動力・・・主体的
という違いがある。
だから「自分にとって有意義であること」や「緊張や恐れもあるが、絶対に自分の成長になること」に積極的に参加することは、「フットワークが軽い」ではなく「行動力がある」や「体力がある」と表現すべきだ。
したがって「フットワークが軽い」にはその意味合いは必要がない。
尻軽と同程度の意味でよい。
私たちは「フットワーク」を甘やかしすぎた。その結果が今の惨状だろう。
使いわけを怠りなんでもフットワークという単語で片付けた結果、フットワークの自尊心は醜いほど膨れ上がり、もは手遅れなほど肥大化してしまったのだ。
そういう意味では、フットワーク本人だって被害者なのかもしれない…
人付き合い悪いけど行動力はあるもん!
行動力は死ぬほど大事である。人間はトライ&エラーで成長すると信じている。
僕だって自分に必要だと思ったら、重い腰をあげる。
国内も海外も旅行するし、始発でディズニーランドにだって行く。
けど、体力と気力が人より少ないんだ。少ない体力は大切なことに使いたい。
人付き合いが悪いのは、ごめん、勘弁してくれ。
そもそもインドアなんだ。家で漫画や本、音楽を聞くのが好きなんだ。
以上、フットワーク重いって言われて鬱憤を晴らすためにグダグダと書き連ねました。
つまりは、言葉は大切に扱おうね、ってお話です。
てことで明日も飲み会を断って、Youtubeで蝶がサナギから羽化する動画を見て寝ます。
それでは
カルボン酸太郎でした