僕の心が弱いのかもしれない。考えすぎなだけとも思う。
それでもその一言をぶつけられると、どうしても悲しい気持ちになってしまう。
その言葉はナイフのような鋭さで、僕のハートを切り裂いていく…
こんにちは。カルボン酸太郎です。
決して、繊細な心を持った醜いモンスターではないです。人間と仲良くなりたいけど、避けられてしまう上に罵声を浴びて傷ついている訳でもありません。
自転車で街を走っていると、時々小さい子供を連れてるお母さんに遭遇します。
そういう時僕は、横を通り過ぎる際は限りなく減速し、万が一子供が飛び出してきても止まれるようにしています。
実際、子供はフラっと出てくることが多いです。これはもう仕方がないことです。
予想していたことなので、それで足止めをくらっても全く問題ありません。何とも思いません。
ですが、問題は、その局面でのお母さんの一言です。
「自転車きてるよ!」
「危ないでしょ!」
「引かれるよ!」
…ちょっと待ってくれよ、おママさん。
お母さんの一言に抱く違和感の正体
正直これらの言葉そのものに問題はありません。
実際、自転車にぶつかったら怪我をしてしまう。なので、きちんと周りに注意を払って自分の身を守ることを子供に教えるのは、最もなことです。
違和感は、その一言で終わることにあります。
僕は、きちんと減速しています。なんなら子供の動きを受け、止まっています。
だから、実際は危なくはないです。事故が起こることはありえません。
それを踏まえても、子供に教育する上で「危ないでしょ!」と言うこと自体はノー問題です。
ただ、その後に僕に対するフォローの言葉は?
自分の子供がフラフラし、自転車に乗っている人に気を遣わせた。
これに対するコミュニケーションは完了してませんよ…
確かに動いている自転車は危ないモノだ。
でもね、自転車を運転しているのは、同じ人間なんだよ…
僕はこんなお母さんが大好きだ
自転車で子連れのお母さんの横を通り過ぎると、8割は上記のようなコミュニケーションです。
正直全員がこの対応だったら、僕も諦めがつきます。
でも残りの2割に、尊敬すべき偉大なお母様がいます。
その存在が、夢を追うことを諦めさせてはくれないのです。
そんなグレイトママンはどんな応対をするか。
まず子供に「危ないでしょ!」と教育をする。
その後に、僕に「ごめんなさいね。」と言ってくる。
この一言に、救われる。
別に、謝って欲しいわけじゃない。ただ、気付いて欲しいのだ。
当たり前だが、こちらが子供に対して細心の注意を払っていることに、ただ気付いて欲しいのだ。
この「ごめんなさいね」は僕の当たり前の気遣いを、当たり前とせずに労ってくれている確たる証拠なのだ。
電車でお年寄りに席を譲るのは、当たり前かもしれない。
でも、譲ったのにお礼の一言がなかったら、なんだか悲しい気持ちになってしまう。
当たり前のことだけど、当たり前として受け取らない。
その先に、みんなが笑顔になれる優しい世界が待っていると思うんだ…!
最後に
僕は子供を傷つける危ない存在ではなく、ただ自転車に乗っている人間なのだ。
だからもちろん小さい子供を気遣う。
そして、それに対する「ごめんなさいね。」の一言は、言葉だけ見れば謝罪だが、本当の意味は「ありがとう」である。
「ありがとう」は魔法の言葉だ。人を幸せにする力を持つ。
そんな最強の言葉なのに、何故だかあまり使わない人が多い。
そういう人の「ありがとう」は自分にとってプラスになった時だけ使う傾向にある。
相手の好意や気遣いに対して、たとえ自分にプラスじゃなかったとしても、労いの意を込めて「ありがとう」と言えるようになると、世界は変わる。
ということで、僕が結婚したい女性は「危ない!」の後に「ごめんなさいね。」と言える人です。
あと、スーパーで買ったモノを重いからチャリの前カゴに入れるも、重すぎてバランス取るのがむずくなったので乗るのを諦めて押して歩いている人も良いです。
それでは
カルボン酸太郎でした。