歯くそか、養分か、天国と地獄の分かれ道を決めるのは君だ

先に弁明させて下さい。汚い話では全くありません。

僕が伝えたいことをわかりやすく説明するのに、歯くそがちょうど良かった。それだけのことなのです。

腸内環境について話す時、大便のことを避けては通れないのと同じです。

ただ今後、歯くそに引っかかって内容が入らないのはお互いマイナスなので「歯くそ」=「プラーク」と歯科医のごとく変換して読み進めて下さい。

あ、僕はずっと歯くそと書き続けますよ?プラークへの変換はあなたの脳内で行って下さい。セルフサービスです。

〜関連記事〜
私は「まかない飯」を嫌悪する
ビュッフェ=食べ放題って風潮もうやめませんか?

歯くその定義

まずは、歯くそについての認識を明確に共有しましょう。

歯くそ

食べ物を歯で細かく砕いていくと、ある程度は飲み込みきれずに口内に残りますよね。食べている途中ならその残りも大きくは気にならないでしょう。食べ終わる頃には自然な流れで、汁物や飲み物でできる限り流し飲み込みます。

それでも残ってしまう奴も存在します。その小さくなった食べ物は、いつから歯くそになってしまうのでしょうか?

そもそも食べ物を細かくするために咀嚼するのに、ある瞬間に食べ物から歯くそになってしまう。一体なぜこんな理不尽が起きてしまうのでしょうか?

歯くそたらしめる要素

この原因を考えた時、二つの要素から紐解くことができそうです。

①鮮度

鮮度

歯に挟まった存在も、食べている途中や、飲み込んだ直後に取れた場合はまだ食べ物として認識できます。

けれどしばらく経ってから取れた挟まりは、もはや飲み込みたくありませんね。

食べてて時間がそこまで経ってないならOKで、ずっと挟まってたやつがやっと取れた時はNGです。

歯くそにはまさしく鮮度が関係してくるのです。ある種の3秒ルールですね。

食べ物だったものが、歯に挟まって一定期間が経つと、それは歯くその様相を帯びてくるのです。

②量

量

量も関係します。

細かくなった食べ物がまだたくさんある時は、一つの集合体と捉えることが出来ます。

小さくなったやつが一つだけだと歯くそ感は強まり、食べるか迷ってしまいますね。

 

鮮度、量において、どの程度までアリなのかの線引きは人によって分かれるでしょう。

でも爪楊枝でとって、口から出したやつを食べる人はいないでしょうね。履いてたパンツや靴下をもう一回履くのが嫌なのと同じ属性です。このえもいえぬ嫌悪感はきっと、老若男女万国共通です。

歯くその仲間と歯くそ現象

歯くその詳細はもういいよ!ちょっと歯くそで熱くなってしまいました、すみません…

歯って一つだとなんだかわからないよね

歯くそのように、取り巻く環境が変わるだけで評価が落ちてしまうモノって多いですよね。

よく言われるのは髪の毛。落ちた瞬間から、気味の悪い存在になってしまう。トイレットペーパーもそう、ちぎり方が悪かっただけで、床に落ちて、汚く見えてしまう。歯くそと同類ですね。

「本当はお尻を拭かれるはずだったのに…」

なんでもそうだよね。研いでる途中にこぼれた米粒、カレーの皿にこびりついたルーの残り。こんなとこにいるはずじゃないのに〜

どんな所にも、アンラッキーなやつはいます。

歯くその闇落ち

歯くそとはアンラッキーだった食べ物だ。養分になり得る力は十分ある。歯くそも養分も出身は同じだったのに、運命の別れ目はなんだったのだろう。

グレた食べ物が落第生の歯くそになったわけではない。理不尽で歯くそになってしまったから、グレた。

その結果、臭いの元、歯周病の元になるような存在になってしまった。

そういう意味で歯くそは「理不尽ではじかれてしまったものがグレた」という性質をもっています。

スラムダンクの三井寿やNARUTOのペインみたいなもんですね。主人公サイドだからこそ闇の暗さが強いやつ。

養分になりたかった歯くそと同じ。もしかしたら養分になりたい気持ちが人一倍強かったから闇落ちするのかもしれない。

俺とお前とで、何が違ったのかな…?って死にゆくエンドが見えますね。歯磨き編のラスト激アツ!で話題になりそうです。

歯くそに思いを馳せる

私たち人間でも同じことが言えるのではないでしょうか?

目の前で売り切れた人。合格枠にギリギリ入れなかった人。

なかなか観測できないけど、境界にいる人は確実に存在する。自分がそれになることも珍しいから実感湧かないよね。

不運な事故にあったニュースを見たときどうしても他人事のように感じてしまうけど、歯くそ自身も同じなんだろうな。

歯くそだって、まさか自分が胃まで運ばれずに歯くそになるなんて思っていなかっただろう。

 

僕が言いたいのは、人は誰でも歯くそになりうるってこと。

そして歯くそを歯くそにしているのは他でもない、自分だ。飲み込めば養分に出来るのに。

そう、決定権は君にあったんだ。

絶対的な当落線上にあるものを見かけた時、そしてそれを当選できるかはあなたに委ねられている時、当選にしてあげられる人が優しい人なのではないでしょうか。(売り切れをギリギリ回避してあげても、その後ろの人が同じ悲しみを味わうだけなので意味がありません。これは相対的なものです。)

「神のみぞ知る。神が決める。」

人間は自分の手の届かない領域での結果を神に委ねる。運命を信じる。幸運を引き寄せるために善い行いをする。救済されるために祈る。

そしてそれは同じ構図である歯くそにも言えます。

歯くそにとって私たちは神だ。私たちは神に祈り、神として祈られる。

そして私たちは選ぶ権利と、同時に選ばれない痛みを知っている。痛みを知る人こそ、人に優しくできる。同じ痛みを味合わせないために。

もうわかってるよね。歯くそに対してあなたが出来ることは一つ。歯くそを、食べよう。

 

 

 

 

僕は汚いので口ゆすぎます。カルボン酸太郎でした。

タイトルとURLをコピーしました